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昭和22年、戦後間もない時期に平野愛子の歌った「港が見える丘」(作詞作曲・東辰三)の曲が大ヒットし、甘く切ないメロディーは戦後の混乱期にあった人々の心を捉えた歌であった。昭和32年接収解除後しばらくの間、この空地には観光バスが止まり、やがて横浜観光ガイドの間で「港が見える丘公園」と呼ばれるようになったという。その後、整備が進み、公園名称を募集し、昭和37年5月にオープンした公園である。横浜市は幾つかの候補の中から一字違いの「港の見える丘公園」を市長が選んで現在に至ったといわれている。開園当日は、山手出身の歌手・渡辺はま子が横浜市消防局のブラスバンドの伴奏で「港が見える丘」を歌い、大いに盛り上げたというエピソードが残っている。平成12年10月、公園内に「港が見える丘」の歌碑が設置され、戦後の混乱期に勇気を貰った歌を次世代に伝えようと、歌謡関係者たちが作詞作曲家の命日に除幕式を行った。歌碑の発起人の一人である山上路夫は、作詞作曲をした東辰三(本名山上松蔵)の長男であり、この曲を歌った平野愛子の長女でシャンソン歌手の平野淑子がこの歌を歌って花を添えている。園内には車椅子対応トイレが設置されている。(小林)
- お話しを伺った人:
- 紹介者:NPO法人 横浜シティガイド協会