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横浜公園の地は、開港前は太田屋新田という埋地であった。安政(1859)年、開港と同時に幕府はこの地に港崎遊郭をつくった。現在も岩亀楼の名のある石燈篭が1基、和風庭園内に残されている。遊郭は慶応2(1866)年の大火で全焼し移転した。明治7年、跡地に元冶慶応の二条約に基づく「彼我公園」と呼ばれる外国人と日本人が共同使用のできる洋式公園が開園した。明治29年、この公園で一高対在住外国人との間で初の国際野球試合が行われた。関東大震災時には鬱蒼と茂った樹木と破裂した水道管が、公園に避難した市民を救った。助かった市民は、震災後こぞって苗木を寄贈、その豊かな緑は現在公園を覆っており記念碑が建っている。震災後の公園は、野球場と野外音楽堂を併設。昭和9年には大リーグチームとの国際野球試合が行われた。戦後、野球場は進駐軍に接収されたが、昭和23年には巨人対中日の初のナイターが行われた。昭和27年に接収解除、「平和球場」と改名。昭和53年、「横浜スタジアム」として新装開場、大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)の誘致も成功した。現在の公園はスタジアムゾ?ン、水のゾーン、庭園などからなり、市民の憩いの場所となっている。(村岡)
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- 紹介者:NPO法人 横浜シティガイド協会