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西区の「掃部山(かもんやま)」には、まもなく150周年を迎える横浜開港の立役者・大老井伊直弼の銅像が建っている。高さ4m、台座を含めて地上から11mという堂々たる大きさである。掃部山は江戸時代には不動山、明治に入ってからしばらくは鉄道山と呼ばれていた。日本最初の鉄道建設の際、この地が事業の拠点になっていたからである。開通後も、ここの湧水が鉄道用水として利用され、紅葉橋から花咲町一帯は鉄道用地であった。明治17(1884)年、旧彦根藩士の有志が元藩主であり名君の井伊直弼の記念碑を建て、この山を井伊家の所有とした。「掃部山」の名称も井伊家の当主が朝廷から授かり、代々継いできた名称「掃部頭(かもんのかみ)」からとられた。その後、公園として井伊家から横浜市に寄贈されたのは大正3(1914)年。毎年、地元の人々の手で8月に『虫の音を聞く会』9月に「薪能が開かれる。掃部山の隣には「横浜能楽堂」。本舞台は明治8(1875)年、東京・上根岸の旧加賀藩13代藩主・前田斉泰の隠居所の一角に建てられ、その後は大正8(1919)年に旧高松藩主・松平家に譲られ、東京・染井に移築。「染井能舞台として親しまれたが解体。平成8(1996)年、横浜能楽堂の会館にあたり遺贈され蘇った。(藤原)
- お話しを伺った人:
- 紹介者:NPO法人 横浜シティガイド協会