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このあたりは、開港後の横浜の主要な役所である「神奈川奉行所」があったところである。往時を知るには、当時発行された絵はがきに「紅葉坂の桜並木」があって、紅葉の他に桜が植えられていたものと思われる町である。また、坂道は石畳で、以前は御影石であったが、今は、ハマ煉瓦が敷かれていて、坂を登りきると右側の入口の一番奥が音楽堂である。この音楽堂は、1954(昭和29)年11月4日に開館されている。日本で初めての本格的な音楽専用のホールとして多くのミュージシャンに愛用されている建物である。これはロンドンのロイヤルフェスティバルホールをモデルに造られていて、開館当時は「東洋一の響き」と賞賛されている。1998年建設省から「公共建築百選」に選ばれている。1999年には二署「紀の重要な文化遺産である建築としてDOCOMOMO(ドコモモ:近代建築の保存に関わる国際的組織)より、「日本におけるモダン・ムーブメントの建築20選」に選ばれた。ここ一帯は、野毛山に続く山々の一つ「掃部山公園」内にあって、今でこそ大きなミュージアムが沢山市内にあるが、当時は、JR桜木町駅から、「音楽通り」と名前の付いた道路を歩いてこの音楽堂を目指して行った。音楽堂の存在が大きかったことも分かる。なお、車椅子での入場には、事前に音楽堂へお問い合わせを行って入場下さい。(旧施設のため車椅子場所は主催者側と協議をして確保するため) (飯塚)
- お話しを伺った人:
- 紹介者:NPO法人 横浜シティガイド協会